「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」コロサイ3:10

目の前に、どれだけ努力しても、うまく行かない、難しい対人関係があるだろうか。うまく対処できず、関係はこじれるばかりだ。心がつらく苦しくなる。相手が、何とか考えてくれたらと思う。「相手を変えて下さい」「苦しいこの環境を変えて下さい」と祈る。どうしても相手の欠点が見えてしまい、相手のここ、あそこの部分が変わってくれたらと思う。相手を責めている自分がいる。

 

しかし祈って祈って、幾ら祈っても、相手は変わらず、状況も変わらず、自分も変わらない。何も変わらない。つらさは続くばかりだ。もうどうしていいのかわからない。又、ある時は余りに苦しくて、職場を変わる。苦しい状況から解放されて、ほっとするのだが、しかし次の職場でも同じ事が起きる。又、目の前に難しい相手が出て来る。以前と同じ光景だ。

 

祈りの中で、もしかして、自分への取り扱い?という事に初めて思いが至る。何のすべも無くなり、主のもとへ行く時、変わるべきは自分だと気づかせられる。あれだけ祈っても何も動かなかったのに、「私を変えて下さい」と祈るなら、その祈りは答えられて行く。そして自分自身が変えられて行く。確かに変えられ、ますます新しくされて行く。

 

自分自身が変えらるので、次に、同じ状況が来たとしても、乗り越えて行ける。私たちを、成長させて下さる。又、もし主の御心なら、環境をも変えて下さる。とにかく主の御心は、私たちが主の似姿へと変えられて行く事だ。

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脱ぎ捨てるべき古い人、その行いは何だろう。苦しい悩みの時に主に祈れることは救いだ。主の聖さや愛に触れて癒やされ、ゆっくりと自分自身の姿を見せてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係