「あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください」詩編25:5

信仰人生で様々な問題に出会う。そんな時、とにかく思うのは、苦しい状況が去って欲しい。早くこの問題が無くなって欲しい、ただただその一心だ。苦しくてたまらない。そのため、状況が変わるようにと祈る。対人関係の悩みなら、相手が変わるようにと。願いは、状況が変わるように、相手が変わるようにだ。

 

しかし、主は、私たちを変えるために、どうしてもうまく行かない対人関係、うまく対処できない状況、難しい環境を送られる。しかしながら、主は見えず、目に見えるところしか見えないので、相手が悪いとしか思えない。つらい状況を変えて欲しいばかりで、どこまでも相手を、環境を変えて下さいとの祈りになる。

 

又、相手を責め、環境のせいにしていたら、自分を見なくて済む。しかし、その祈りを幾ら祈っても、答えられない事に気づく。ある時は余りにつらくて、自分で環境を変えるが、又、同じ事態が起きる。職場を変えて、ほっとするが、次も、やはり嫌な人がいる。同じ問題が起きて、もしかしてこれは主からのメッージかと気づく。

 

すべてが主の支配の中なら、これは相手や環境の問題ではなく、自分自身の問題なのではと気づく。それで「教えようとされている事を教えて下さい」「私を変えて下さい」との祈り始める。その祈りは聞かれる。自我に気づかせられ、成長へと導かれる。

 

私の益のために、成長のために与えられた問題だとわかる。又、もし御心なら状況が変えられる。主に従う時に、私たちを自由にして行って下さる。

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人には全く関係のない、自分が歩むべき道を主に尋ねながら行こう。主を恐れる者には、主がその人に選ぶべき道を教えられる、との御約束がある。主が望まれる道を歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係