「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥が来て食べてしまった」マタイ13:3

ある人が、御霊の気づきを与えられた。それは、主を信じ救われて、かなりの期間を経るのだが、御言葉を聞いているつもりで、実はスルーしていた、流していた事に気づかされたと。それは御言葉を捨ててしまっていた事になると。種蒔きのたとえの「道ばた」に落ちた種であり、土地が固いので植わらず、弾き返してしまう。つまり心が固いので、御言葉が心に全く入らず、弾いている。

 

しかし御言葉を拒否するのでなく、自分としては、喜んで聞いているつもりなので、全く気づかなかったと。御言葉を聞く時に、必ず別の思い、肉の思いが同時に湧いて来て、御言葉をかき消してしまう。例えば主が「必要を満たす」と言われると、「どこからどうやって?」「そんな事、有り得ない」と打ち消してしまう。

 

しばしば主の価値観は、世の価値観と正反対だ。それで「そんな事をしていたら、世の中で生活して行けない」と思う。つまりはずっと御言葉を聞く時に、横から湧いて来る、肉の思いの方を選択していたと気づかされた。御言葉を聞いてはいるが、心に入れずに捨ててしまっていた。成長して行けないのはそこが原因だとわかった。

 

そこで、御言葉を聞いた時に、同時に湧いてくる自分の思いの方を捨てて、とにかく御言葉に従おうと決心した。それを実行して行った時に、初めて、本当に自分が変えられて行った。驚きであった。御言葉を拒否しているなら、むしろわかりやすいが、普通に聞いているので、長い間気づかなかった。ずっと自分は変わらないと思っていた。御言葉が植わる土地であるところの、心のあり方は非常に重要だ。御霊の光で探って頂いて、修正して頂こう。

 

・・・・・・・・・・

御言葉を聞く事は好きで、幾らでも聞くのだが、実は肉の思いに妨げられて、心に入っていない事がある。無意識なので気づかない。種が心に入って初めて、結実するので、御霊によく心を探って頂こう。今一度、聞いているつもりのところに光を当てて頂こう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係