「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14

ぶどう園が収穫期のため、労務者が早朝、9時、12時、3時、5時と順次雇われた。早朝の者だけ1日1デナリの明確な契約がなされ、9時以降の者の報酬は「相当のもの」となっている。そして1日の労働を終えた時に、5時の者から順に、全員に等しく1デナリが支払われた。1デナリは当時の1日分の給料だ。5時の者たちは非常に驚いただろう。

 

ほんの少し働いただけだ、もう片づけに入る頃だ。それなのに丸々1日分貰えた。だが早朝の者は怒りがおさまらない。5時の者が1デナリなら、朝早くから労働した自分たちは、もっともらえるべきだ。それなのに同額とは納得が行かない。憤慨して主人に文句をつけた。「1日中労苦と焼ける暑さを辛抱した」と。それが同賃金とは不公平だと。自分たちはつらく苦しかったと言った。

 

だが、別の面から見れば早朝から1日分の報酬が確約されていた。家族の喜ぶ顔が浮かんだ事だろう。又早朝から選ばれたからには頑健な人々だったろう。ところが5時の人々はどうだろう。怠けていたのでなく、働きたいが、夕刻まで雇って貰えなかった。身体が弱そうだったかも知れない。夕刻になるのに今日の糧が無い。ずっと不安で思い煩いであったろう。家族はどんなに落胆するだろう。

 

その心細さ、恐れを抱えて夕方まで過ごした事になる。労働して給料を貰うのは報酬だ。しかし労働無しに報酬を貰えた。これがあわれみだ。主は、あわれみのお方であり、天の御国は、このあわれみの世界だと。私たちも、大きなあわれみを受けている。罪ゆえ滅びて当然の者が、救いに入れられた。値しない者に、何と驚くべき恵み、一方的な愛顧だろう。感謝しかない。

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どの立場に立っているのかと、いつも心を照らされる。主から与えられる恵みがあまりにも大きすぎて、その全てが見えていないのではなか。主の深いあわれみに、ただ感謝するばかりだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係