「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え・・」ヨハネ14:26

ある人が、「わたしの目にはあなたは高価で尊い」との御言葉は、素晴らしい恵みの言葉と、頭ではわかるが、長い間、どうしても自分の事として受け取れなかった。自分が高価で尊いなどと、どうしても思えない。生い立ちから培われた古い価値観に妨げられてしまう。主を信じてはいるのだが、何か心底満たされていない事も感じていた。

 

頭では、神は愛だと思うのだが、実感が無かった。しかし苦しい時に、祈る祈りが何度も答えられ、助けられた。確かに主はおられるのだが、もう一つ実感が無く、わからない。時も経る中、そんな事もありのまま洗いざらい告げて祈っていた時に、御霊の光が射し込んだ。心照らされ、自分が高価で尊いと、信じていない事が示された。

 

主の言葉を信じていない自分。なぜかと思うと、自分がそう思えない、そう感じないからだった。御言葉でなく、自分の思い、自分の感覚の方を信じていた。それなら御言葉を否定する事になり、主の真実を否定する事になってしまう。主のことがもうひとつわからない、実感がないその底に、自らの「不信仰」が横たわっていたと初めて気づかされた。

 

心から悔い改めた。感じる感じないでなく、御言葉をそのまま受け入れます、感謝しますと祈った。その時から変えられた。主の愛が頭でなく、心でわかるようになった。以前とは全く違い、御言葉が力とされ、救いとされた。

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自分ではとてもそう思えなくても、主が言われていると聖霊の働きによって素直に御言葉に結びつけられる。御霊に励まされて心を高くして生きていける。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係