「神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません」ヤコブ1:13

誘惑について御言葉は言う。「人はそれぞれの欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑される」と。誘惑は、外部から来るのでなく「欲に引かれ」と、私たちの内側から始まる。魚釣りのように、サタンが私たちの内側の「欲望」に誘惑の餌を投げかける。その餌に食らいついてしまうと、誘惑にかかってしまう。もし、欲望が内側に無ければ、餌がどれだけあっても、何の誘惑にもならない。

 

誘惑は、心の欲から起きるのであり、状況からではない。エデンの園で、サタンは、エバにまず疑いを起こさせた。「本当に? 神が言われたの?」、私たちにも同じように誘惑が来る。主がはっきり罪だと言われている事に対しても「本当に? この場合はいいんじゃないの?」示されている御心についても「本当に? 自分の思いではないの?」

 

次に、サタンは、エバに「決して死にません」と正反対の嘘を堂々と言って来る。しかしサタンに耳を傾けて行った時、欺かれてしまい、もう嘘が見抜けない。「あなたは神のようになる」は、エバにとり、大きな誘惑であった。「手に入れると、幸せになれるよ」、心が惹かれそこに向いてしまうと、サタンの嘘にだまされ、行動に移ってしまう。

 

サタンの言葉を心に入れてしまうと、主が禁じられた木は、好ましく魅力的な、素晴らしいものにしか見えなかった。その結果、取って食べてしまった。私たちもサタンに聞いて行くと、そのように見えてしまい、行動に移して行ってしまう。霊の戦いは祈り無くして戦えない。祈りと御言葉によって勝利して行ける。

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「この場合はいいんじゃないの?」の声に馴染みはないだろうか。失敗から学び、肉の欲に自然に溶け込んでくるサタンの声に気づけるよう祈り備えていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係