「いつまで御顔を私からお隠しになるのですか・・いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう」詩篇13:1

「いつまでですか、いつまでですか」と繰り返し、ダビデは苦しみを、率直に正直にあるがまま訴えている。この苦しみ、悩みはいつまで続くのかと。「私に目を注ぎ、私に答えて下さい」と求めている。ここには、「いつまで~」が4度も出て来る。ぎりぎりの瀬戸際であった事だろう。

 

私たちは、順調に行っている時には、神に愛されている、祝福されている、守られていると思える。商売は繁盛、交通安全、受験は合格、畑は豊作、家族は健康、夫婦円満、それなら祝福、感謝と思える。しかし受験不合格、畑は不作、リストラ、倒産、家族の病気、経済的苦境の場合はどうだろう。祝福されていないと感じてしまうだろうか。愛されていない、守られていないのだろうか。

 

しかし御言葉によると、訓練は神の愛だ。「主はその愛する者を懲らしめ」愛しているからこそ、むちを加えると。我が子として扱っていると。私生児は懲らしめない。懲らしめが無い方が問題で、心配だ。先が見えない中で、信仰が鍛えられ成長する時だ。私たちも今「いつまで~」の状況だろうか。

 

対人関係や仕事、経済的悩み・・。そのままの気持ちをダビデのよに、弱さのまま主に告げよう。主ご自身もゲッセマネで、弟子

に弱さを隠されなかった。死ぬほどの悲しみで一緒にいて欲しいと。私たちも弱いまま、率直に祈れる。祈りの後、ダビデは「救いを喜びます。主に歌を歌います。主が豊かにあしらわれたゆえ」と大きな喜びと平安に変えられている。

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目的をもって訓練を与えられる主は、苦しみも与えられるが、その苦難の中にいつも共にいてくださる。試練を抜ける時にはっきりとわかる。主にしがみつきダビデのように祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係