「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。」(マタイ9:6)

中風の人を4人で、床のまま、主のもとへ連れて来た。すると主は彼らの信仰を見て、中風の人に「あなたの罪は赦された」と言われた。彼らは、とにかく病気を癒やして欲しくて主のもとに来た。しかしそこで聞いたのは、想定外の罪の赦しだった。罪の赦しでなくて、欲しいのは病気のいやし、そう言いたかったかも知れない。

 

すると罪の赦しの後「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と中風をもいやされた。彼は家に帰った。いやしを求めて来たが、罪の赦しを与えられた。単に身体のいやしなら、又、病気にもなるし、そしていつかは必ず死ぬ。永遠の滅びだ。だが人は、とにかく現実の目の前の問題を何とかして欲しい。

 

悩みを解決して欲しい。人が望むものは、家内安全、商売繁盛・・だ。罪の赦しなどどうでもよいから、目に見える目の前の必要が満たされたい。経済的苦境は満たされたいし、病気は癒やされたい。苦しい対人関係は何とかして欲しい。むしろ罪には触れられたくない。隠しておきたい。しかし実は、根本的な問題は罪にある。私たちのつらさの原因は罪にあり、見える問題が問題なのではない。

 

病気さえ治れば、仕事さえあれば、と思うがそうではない。罪とは「的はずれ」であり、神から離れているから、問題が起きている。「子よ。あなたの罪は赦された」罪が赦される時、神との交わりが回復する。その時、主と自分の関係が正しくなり、目の前の問題が導かれて行く。

 

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とにかく目の前の問題を何とかして欲しい。すぐに解決して欲しい。しかし根本的な真の問題は、神を認めない罪にある。主は罪を赦す権威を持っておられる事をこの癒やしで宣言された。主と歩む時、ただ解決でなく、一つ一つの出来事に意味があり主の愛の中を歩める

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係