「しかし私には聞こえません。私は耳しいのよう。口を開かないおしのよう・・それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです」詩編38:13

言葉はもろ刃の剣であり、人を生かしも殺しもする。舌をもって主をほめたたえる事もでき、また同じ舌で人をのろう事もできる。対人関係で、様々、言葉で傷つくことがある。理不尽な言葉や、非難、批判、悪口・・深く傷ついてしまう。舌で被害を受けた時にはどうすればよいのか。人からの言葉には、受け入れるべき言葉と聞き流すべき言葉があると言っている。

 

単に傷つけるための言葉は聞き流して、耳しいになるべきだ。悪意ある攻撃の言葉には、聞こえない耳を持つ必要がある。「人の語る言葉にいちいち心を留めるな。あなたのしもべがあなたをのろう言葉を聞かないためだ」ともあり、ネガティブな言葉に、いちいち心を留めるなと。陰口、悪意のある噂話、人の言葉が心に刺さり、つらくなってしまう。

 

耳しいになり、耳を閉じることだ。耳に入ってしまったなら、建て上げることのない、むしろ害のある、無益な言葉は忘れてしまおう。又、舌は多くの人が失敗する、少しもじっとしていない悪と言われており、自分自身も無益な言葉を発することが無いように。くちびるの戸が守られるように祈っていよう。

 

耳しいになれるのは、すべてをご存じで、すべてを見ておられる、真実に正しくさばかれる方に任せることができるからだ。主が、ののしられても、ののしり返さず、正しくさばかれる方に任せておられたように。

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人の言葉に動揺しても、大騒ぎをせず沈黙できるのは、主に全てを打ち明け、主を待ち望む事ができるからだ。ダビデに学ぼう。主よ急いで私を助けてくださいと主に叫べる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係