「まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」Ⅰサムエル15:23

占いや偶像礼拝は、明らかに罪だとわかる。クリスチャンであれば、しないだろう。しかし「主のことばを退ける」ことは、意識せずに行なってしまったりする。主の言葉より、自分の思いの方を優先させてしまうからだ。だがそれは、偶像礼拝の罪だと言っている。サウルが、サムエルを待てと言われていたのに、ペリシテとの戦いで劣勢を極め、民がおびえて逃げ出す状況に、何とかしなければと、自分で全焼のいけにえを献げてしまった。

 

主の言葉でなく自分の思いに従った結果だった。また、「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない」との主の命令に対して、サウルと民は、アガグと肥えた羊や牛、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、つまらない値打ちの無いものだけを聖絶した。明らかに主の命令に違反し、主の言葉に従っていない。

 

自分の思いに従い、自分の思いを優先させている。それを主は「主の言葉を退けた」と言われた。そしてサムエルに、羊や牛の声は何かと、問いただされた時に、「あなたの神、主にいけにえをささげるため」と言い訳をした。そして民が惜しんだからと、民に責任転嫁した。

 

主は、いけにえでなく、主の御声に聞き従うことを喜ばれる。そして聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさると。今、自分の思いが優先していないだろうか。自分の良かれとの思いでなく、主の言葉に従うことを再確認しよう。

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主の御声に従う中で、肉の思いが混ぜ込まれていくと、言い訳は次々と湧いてくる。強欲や偽善から成すことなく純粋に主の御声に従えているか、いつも吟味していたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係