「御霊がピリポに『近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい』と言われた」使徒8:29

女王カンダケに仕える、エチオピア人の高官がいた。彼は、礼拝のめエルサレムに上り、エチオピアへ帰る途上だった。馬車の中、イヤ書を読んでいた。その時、御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。そこでピリポは御霊に言われる通りに従い、馬車に近寄った。

 

並んで走りながら、「あなたは読んでいることがわかりますか」と声をかけた。彼は「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と答え、馬車に乗り、一緒に座るよう頼んだ。ピリポはこの所からイエスのことを彼に伝えた。彼は、書いてある意味はわからなかったが、主を求めていた。そのためイザヤ書を読んでいた。

 

この箇所を通して、求めがあれば、必ず主を知ることができると見せられる。求めるなら、与えられる。求める者は受ける。必要な導き手が与えられ、御言葉を知り、主を知るようにされる。高官にピリポが備えられていたように、あなたにもふさわしい導き手が備えられている。そして喜びに満ちる。

 

主は、主を求める「求め」を喜ばれる。あなたに「求め」があるなら、必ず主がわかるようにされる。又、ピリポの従順のゆえに、主の御心は成し遂げられた。ピリポは御霊の導きを受けた時に、素直にすぐに従った。少しでもぐずぐずしていたなら、高官は去ってしまっていた。ピリポは、主の働きに用いられる恵みにあずかった。あなたも、今、御霊の導きがあるなら、すぐに従おう。用いられて、主のみわざを拝する。

・・・・・・・・・・・

心の奥の飢え渇きを、主はご存じだ。見て下さっている。その渇きは、主にしか満たせない。主を求めよう。主の方法で、求めに答えて下さる。主を知る喜びは、何にも代えられない。又、主の示しがあれば従順に従う時に、誰かのために用いられて、共に喜べる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係