「サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。『ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ』」Ⅰサムエル18:8

いに連戦連勝のダビデを、女たちが賞賛して、「サウルは千を打、ダビデは万を打った」と笑いながら繰り返し歌った。今まで、サウルは女たちから、タンバリンや琴をもって歌い踊りながら、賞賛を受けて来た。それがここで、自分は千で、ダビデは万と笑いながら言われた。「その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった」「妬みの目でみるようになった」とある。

 

妬みは憎しみとなり、憎しみは殺意となり、サウルはダビデをつけ狙い、殺害しようとする。サウルが、主の方を向き、主に助けを求め、悔い改めたならどんなによかったろう。罪は、どんどん増幅して行ってしまう。信仰に立つ時に、妬みから解放され守られる。私たちは皆、違って創られていて、同じ人は一人もいない。与えられた賜物が異なるので、そこに競争は無い。

 

比較ができないので、競争にならない。各自が主との間で、主によって与えられたものを、主のために用いて行く歩みだ。賜物の違いがあるからこそ、補い合え、助け合える。絶えず主を仰いで行く時に、妬みでなく、主による喜びが与えられる。又、命をつけ狙われたダビデは、常に死と隣り合わせの苦しい状況であった。

 

しかし、どこまでも信仰立っていた。油注がれた王に、立ち向かい、反撃する事をせず、復讐する事をせず、逃げ回り、ひたすら逃げた。そして主を信じ、主に信頼し、主に委ねた。そのダビデを、主は堅く守られた。窮地の時は、主のもとに逃げ込もう。主が正しく御心のままに導いて下さる。

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唯一無二の者として主から愛されているのに、人の優れた所だけを見て、苦々しく生きるのは悲しい。妬みの目に気づいたら悔い改めて祈ろう。この弱さを抱えたままを愛してくださる主を知ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係