「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい・・『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」ローマ12:19、21

ナバルとアビガイルの夫婦がいた。「ナバル」という名は、「愚か者」との意味だ。「頑迷で行状が悪かった」とある。ダビデには600人の部下がいて、大量の食料が必要だった。丁度祝いの時だったので、ダビデは、ペリシテの襲撃から、ナバルの羊飼いたちを守っていたので、その報酬として、自分たちにも祝いの食糧を分けてくれるよう頼んだ。当然の、妥当な申し出であった。

 

しかしナバルは「ダビデとは何者か」と蔑み、「私のパンと私の水を」と自己中心の所有欲で、それをなぜ素性の知れぬ者に分けなければならないのかと。申し出をはねつけた。ダビデは激怒で、復讐心で、部下400人に剣を持たせ、こわっぱ一人も残さないと、ナバルのもとへ向かった。その時に、ナバルの妻アビガイルに、若者が状況を知らせ、ダビデがどんなに良くしてくれているかを伝えた。

 

アビガイルは進言を受け止め、即、大量の食糧を用意し、ダビデのもとに行き、地面にひれ伏した。「あの罪は私にあるのです」と、すべてを自分が引き受ける覚悟で、ダビデの前に出た。そしてへりくだって、ダビデが自分の手で復讐する事を止めるよう願った。ダビデは彼女の言葉に耳を傾け、血を流す罪を犯す事から守られた。

 

止めてくれたアビガイルに感謝し、主が、彼女を遣わされた事に感謝した。ダビデは、ナバルに自分で復讐するのでなく、主の御手に委ねることの、実地訓練を受けていた。その後、主がナバルを裁かれた。私たちも「復讐するな」と言われている。主にすべてを委ねよと。理不尽な事、怒り・・主に委ねて主に対応して頂こう。

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主は切なる訴えを聞かれ、流した涙も見たと言われる。コントロールできない怒りの感情をまず主に訴え、委ねよう。主の御心とひとつになって怒りの罪から離れていよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係