「神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる・・私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」Ⅰヨハネ5:14

主は、祈りを喜ばれ、願う事を喜ばれる。「求めよ。そうすれば与えられる」「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないから」と。そして、求めるなら受け「あなたがたの喜びが満ち満ちたものとなる」と。祈る事を主は求め、受け止めて下さり、そして祈りに答えて下さる。

 

ただその答えが、願った通りに与えられるとは限らない。祈りとは、自動販売機にお金を入れると、缶ジュースが出てくるのではない。又、祈り勝ちとばかりに、時間をかけて同じ言葉でガンガン祈り倒せば良いのではない。時間さえ長ければ良いのではない。主はどんなに小さな祈りも、すべて聞いて下さっている。

 

だが願った通りに叶えられるのではない。祈りとは、自分の願望をこれでもかこれでもかと、主に押しつける事ではなく、その中で、正しく主の御心を知って行く事だ。自分ではこれこそが最善の道、最善の願いと思うが、主から見れば、的はずれな求めかも知れない。又、動機が自分の欲、自分の栄光と、間違っているかも知れない。

 

又、御心に適っているのだが、まだ期が熟しておらず、時ではないかも知れない。祈り続ける事を学ばせられるだろうか。祈る中で、祈りを軌道修正されながら、主の正しい御心に着地して行ける。このところに目を留めて祈りを続けよう。祈りは大きな祝福だ。

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聞かれた祈りは感謝をお献ささげしても、聞かれなかった祈りを心に留めて検討しているだろうか。御心に適う祈りをしたい。御心に心を向けて祈っていきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係