「これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた」創世記22:1

主は約束を下さっていたが、アブラハム100歳、サラ90歳の時に、長い長い忍耐の末に、実子イサクを得た。しかし彼らも弱い人間であり、主の時を待てずに、肉の手段で、奴隷ハガルによりイシマエルを産み出してしまった。だがヘブル書によると、アブラハムは信仰の人として賞賛されている。主は彼に試練を与えられた。

 

愛する子イサクを全焼のいけにえとして献げるようにと。25年も待ちに待って与えられた、目に入れても痛くない、愛してやまない息子だ。そしてこのイサクから子孫が増え広がるはずで、この主の大いなる祝福の約束はどうなるのか。アブラハムの心中は、いかばかりだったろう。

 

しかし「翌朝早く」イサクと共に出かけた。すぐに、時をおかずに従順に従った。イサクが途上で「いけにえの羊はどこに」と問うた時に、彼は「神ご自身が備えて下さる」と答えた。彼はこの事において、主を全く信頼した。しかし、いけにえは無く、イサクをいけにえとし、刀を振り下ろすその瞬間だった。

 

「あなたの手を、その子に下してはならない」と止められた。あなたが神を恐れることがよくわかったと。そこに羊が備えられていた。これは彼も知らなかった事だ。その彼に、主は「あなたが、このことをなし、あなたの子、ひとり子を惜しまなかったから、確かにあなたを大いに祝福し」と、主から大いなる祝福を受けた。

 

私たちも一歩先は見えず、明日の事もわからない。しかし主はご存じだ。一歩一歩この主に委ねて歩む時、一生涯の間、「主の山の上に備えあり」を確かに経験して行ける。

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不安や恐れはあっても、与えられている御約束を信じて進む者に主は必ず報いて祝福してくださる。信じて進もう。全ては恵みだったと言える主の山の備えを経験する。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係