「民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った」Ⅰサムエル30:6

前回は、ダビデが祈らずに「心の中で言った」、自分の思いで動いた結果、失敗してしまった。その後、ダビデたちが留守宅に戻ると、アマレクに襲撃され、火で焼き払われ、女、子供は皆、連れ去られていた。ダビデも妻たちや財産も奪われ、何もかもを失った。皆は大号泣し、泣き明かした。

 

民は、この悶々、不満をダビデにぶつけた。だがダビデは、この窮地により、主に立ち返る事ができた。前は、自分の考え、肉の思いに従ったが、今は「主によって奮い立った」。そして「主に伺って言った」。どうすべきかを主に問うた。略奪隊を追うべきか、追いつけるのかと。

 

すると主は「追え。追いつける。救い出せる」と答えられた。600人と共に追いかけたが、200人は疲れてしまい、400人で追跡した。すると途上でアマレクの捕虜で、エジプト人の逃亡奴隷に出会った。主の関与で主の働きだ。彼を助けたところ、アマレクのもとに案内してくれた。アマレクは、溢れる略奪物で、飲み食いし騒いでいた。

 

ダビデたちは24時間、彼らを打ち、妻子も略奪物も全部取り戻した何一つ失わなかった。主に頼り、従った結果だった。戻った時、よこしまな者たちが、戦っていない者には分けてやれないと。ダデ、主が賜った物で主の恵みだからと言い、同じように分けた。周囲の町々にまで贈った。

 

独り占めにせず分け与える事が大きな祝福だ。突如の事態に際し「心の中で言った」と「主によって奮い立った」では天地の差が生じる。自分の思いで動かず、まず主に向き、祈ろう。

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悔い改めて主に立ち返るとき、主は即座に導きを与えてくださる。なんと主のあわれみは尽きないのだろう。自分ではなく主に栄光を帰すとき、周囲にも祝福が及ぶ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係