「サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、わしよりも速く、雄獅子よりも強かった」Ⅱサムエル1:23

人を赦せない経験をした事があるだろうか。傷つけられた相手に、怒りと憎しみで、四六時中がんじがらめだ。赦せない相手がいるなら、どんなに楽しい時も、ふと心に影を落とす。放免される事がない。心がずっと囚われ、牢獄の中だ。

 

しかしダビデはどうだったのだろう。サウル王に殺意を抱かれ絶えず付け回された。サウルに対して、何も悪い事をしていない。むしろ良い部下で、忠実に仕えているのに、ずっと標的にされた。本気で殺害のために狙われ、2度も槍を投げつけられ、突き刺されそうになった。

 

一国の王であり、いつでも軍隊を招集できる相手だ。野山を逃げ回り、常に死と隣り合わせで、不安と恐怖はどれほどだったろう。サウルを討つ好機があったにかかわらず、神に選ばれ、油注がれた王に手を下す事などできないと、しなかった。

 

妬みゆえに、命を狙われるという理不尽な攻撃に会ったが、神がサウルに油を注ぎ、王としてを選ばれた、そこに立った。ダビデの信仰だ。そこに堅く立って動かなかった。サウルについては、主が判断され、裁かれるなら主のなさる事だと。

 

ダビデは信仰に立っていた。サウルの死を悼んでいる。どうしてそんな心持ちでおれたのか。ダビデは、主に自分自身も何もかも委ねきっていた。すべての信頼を主に寄せていた。

 

恐怖、嘆き、怒り、苦しみ、悲しみ、あらゆる思い、感情を主に持って行った。主と交わり、受け止めて頂いたので、心がガードされた。ここが秘訣だ。ダビデにならい、主に引き受けて頂こう。どんな中であろうと、心が守られる。

 

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ダビデは主を畏れていた。それゆえ油注がれた方に手は出せないと言った。ダビデのようい、傷ついた心も、怒りも恨みも、主のもとに持って行こう。ことごとく聞いて頂こう。明け渡せるよう祈ろう。その時、苦しみから守られる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係