「私には、水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです」 ヨハネ5:7 

 

もし人が病気になっても、それが普通で正常な状態だと思っているなら、病気が治ることはない。病気が治るためには、自分が病気だと認識しなければならない。私たちも癒やされるためには、自分は病気であり、この状態はまともではないと認識することが重要だ。

 

自分の内側の自己中心には目を向ける事なく、相手の欠点ばかり責めているなら、いつまでたっても、その状態は改善されず、同じ事の繰り返しのままだ。成長ができない。私たちはどうだろう。相手の欠点ではなく、状況の問題ではなく「自分の問題」だと気づき、認めて行く時、大きく変えられて行く。

 

この人は、今の状態の原因を「池の中に自分を入れてくれる介助人がいないから」と、人が助けてくれないからだと。助っ人がいない、だから自分はずっとこんなふうで、良くならないと。人に依存してしまっていた。人依存だと無気力になる。うまく行かないのは人のせい。その人依存こそが問題だ。主は「起きて」と言われた、床を取り上げよと。そして自分の足で歩けと。

 

問題は、人に、病気に、依存している「自分に」あると気づき、認める時、主のみわざはすでに始まっている。自分の床って何だろう。自己憐憫、諦め、不満、不信仰、神以外のものに頼る心・・その床を取り上げて、主に向き、心底頼る事を始めよう。自立とは、神だけに頼ることだ。

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ああしてくれない、こうしてくれないと不満が出るとき、神と一緒に他の者にも頼っていることに気づきたい。自分の弱さをしっかりと認めて神に向き頼ろう。神が変えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係