「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」ヘブル11:1

ある人が、極めて厳しい経済状態にあった。多額の必要の上に請求書があり、祈りに祈るが、支払い日はどんどん迫って来る。しかし、与えられない。なおも祈り続けるが、与えられる気配はなく、恐れと不安が募る。いよいよもって与えられず、不安で一杯になり、悶々のタイムリミットギリギリの時に、知り合いから電話が入った。

 

祈りの中で、主から示されたので、献げものを振り込んだとの連絡だった。その額が、何と必要額よりほんの少し多い目で、満たされたのだ。もう大喜びで飛び上がり、嬉しくて嬉しくて、全身が喜びに満たされた。

 

その時、ふっと御霊の語りかけが来た。目に見える人間が、振り込んだと言えば、現金を見たわけではないのに、安堵し大喜びしている。だが、ずっと主から「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」「あすの心配は無用です」「何も思い煩わないで・・」と語られていた言葉はどうなのかと。

 

人の言葉は信じることができても、主の言葉を信じることができない、不信仰を示された。信じることができないので、思い煩い、不安、恐れに襲われ、支配されてしまっていた。不信仰を悔い改めて、御言葉に立てるよう、信仰に歩めるように祈った。主の取り扱いに心から感謝した。

 

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この通りの弱さがある気がする。目に見えるものは、大きな力があり、影響力がある。目には見えないもう一つの現実を、しっかり霊の目で見て行けるよう、祈っていよう。いつも不信仰を主に告げて、御言葉の方を選び取って行けるよう、御霊の助けを求めていよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係