「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4

ある人が第一線で先頭に立って、バリバリ仕事をし、どんどん結果を出していた。ところがある時、仕事上の困難な問題にぶち当たり、行き詰まってしまい、仕事で失敗してしまった。過労で体調を崩し、入院の事態になり、やむなく退かねばならなくなった。その時にひどく落ち込んだ。

 

仕事が出来ていた時は、自分が価値のある人間と思えていたが、何も出来なくなった時、自分の価値を認められなくなったのだ。非常な苦痛であり、受け入れ難い事であった。様々な弁解や言い訳で、自分を取り繕おうとするが、無駄だった。仕事上の失敗を受け入れられず、人のせいにしようとしている自分、人を赦せない思いに苦しんだ。

 

平安の無い悶々の日々の中、心を決めて主の御前に出た。いっさいを打ち明け、思いも感情も吐き出し、心注ぎ出し祈った。その時、十字架が迫った。「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」この主の祈りが、自分のためである事がわかった。主の赦しの愛を全身に受け取った。

 

自分が成果主義であるから、自分自身も成果が無いと認められないこと、そして人をもそういう目で見ていることに気づかされた。成果で人を判断している。主の赦しを受け取った時に、あれほど悶々であった心が平安にされた。何かをしたから、結果を出しているから価値があるのでなく、何が出来ずとも、このままの存在を受け入れ、愛して下さる主の愛に癒やされた。

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自分を見る目も心の内の声もきびしく一番愛せていないのが自分自身ではないだろうか。「わたしはあなたを愛してる。」主の御言葉を素直にかみしめよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係