「・・そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません」Ⅰテモテ1:4

ある時、若いクリスチャンたちの交わりで、他愛ない事で議論になった。どうでも良いような事なのに、ああだ、こうだと、それぞれが強く主張し合い、その内に険悪な空気になってしまった。帰宅しても、何だか心がザラついて、嫌な気持ちで平安がない。どうでも良いような事であったのに、どうしてこうなったのか。主に祈った。 

 

そして御言葉に向かっていると「果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように・・そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではない」とピッタリだった。議論になると平安が失せる。それは信仰の名のもとに、神から離れて、実は自分の正しさを主張し始めるからだ。

 

自分の主張の方が正しいと、負けなくないとの思いになり、相手を打ち負かしたくなる。何が目的なのかがわからなくなってしまう。「自分の言っていることも、強く主張していることについても理解していません」の通りだ。ここから徒党や分裂が生じる。「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としています」。

 

私たちは「愛」が目標だ。愛から離れてしまい、「この目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走」りがちだ。向上のための建設的意見交換は必要で、良い事だ。動機が、肉から出る自己主張のためか、それとも愛であるのか、このところに目を向けていよう。

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いつでも自分は正しいと主張して退かない人に、誰も近づきたくはない。議論の先に主の証しと平安があるかを見極めて、よく祈って無益な議論から自分自身を守ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係