「イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた」創世記25:28

聖書には様々な失敗も隠すことなく記されている。イサクはエサウを偏愛し、リベカはヤコブを溺愛していた。つまり父親は弟息子よりも兄息子をひいきし、母親は兄息子よりも弟息子をひいきした。その狭間で、エサウとヤコブの兄弟は信頼関係が築けなかった。ヤコブは兄エサウを煮物でうまくだまして、長子の権を奪い取る事に成功した。

 

そしてなおも、母リベカの画策により、毛深いエサウを装うために、子やぎの毛皮を腕にかぶせ、父をだまして祝福を横取りした。大声で泣き叫び、激怒したエサウが弟を殺そうとしたので、ヤコブは家におれなくなってしまった。遠く伯父のもとへ逃亡する事になる。家庭崩壊だ。そして今度はヤコブが父親になった時、他の兄たちを差し置き、ヨセフを偏愛した。親と同じ事をしてしまう。

 

それは当然、兄たちの妬みを買い、憎悪を向けられる事になる。それはヨセフ殺害へと思いは高じて行く。結局ヨセフは兄たちに、隊商に奴隷として売られてしまい、家族から離れてエジプトへ。一人異国の地で、どんなにつらく不安であったろう。

 

「これらのことが起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするため」とある。信仰の偉人たちの失敗は教訓とするようにと。又、自分自身の過去の失敗も今後の歩みのために、失敗から学ぶようにと。そしてそれらは大いなる御手の中で、万事が益とされる。

--------

聖書を通して主が語りかけておられる失敗や罪深さはそのままの自分だ。信仰を持っていても繰り返し失敗してしまう。倒れないように日々主につながり学び続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係