「わたしも、一言あなたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答えるなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを話しましょう」マタイ21:24

主が、宮で教えておられた時に、祭司長、長老、律法学者達が「何の権威によるのか」と詰め寄って来た。越権行為ではないのかと。特権階級だった彼らは、主に脅威を感じていた。その前に、宮きよめをされていて、宮で売り買いする人達を追い出し、両替人の台や鳩売りの腰掛けをひっくり返された。

 

彼らは、自分たちこそが、教える権威と資格がある者と思っていたので、誰がそのような権威を授けたのかと。主はその質問には答えられず、逆に問われた「ヨハネのバプテスマは天から来たのか、それとも人から出たのか」と。彼らは互いに論じた。もし「天から」と言えば、主イエスはそのヨハネが神から遣わされたと証ししているのに、なぜ信じないのか、又、そのヨハネが指し示している主をなぜ信じないのかということになる。

 

又、もし「人から」と言えば、群衆はヨハネを神から遣わされた預言者だと認めているので、群衆の目が怖い。それは、どちらもまずいので、それで彼らは「わかりません」に逃げた。わからないのではなく、天からのバプテスマのヨハネを、決して認めたくなかったからだった。彼らのプライド、保身だろうか。

 

彼らが答えないので、主も答えられない。黙された。主に向き合い、そして正直に自分にも向き合い、ありのままを答えるなら、主は必ず答えて導いて下さったであろう。主に向き、心を開き、自らの罪も、プライドも、保身も、欲も、主にありのまま告げるなら、真理へと、真実をもって導いて下さる。

 

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主は私たちがどんな状態であれ、愛していて下さる。本当の私を愛して下さっているので、偽った私は、私ではないので、主もどうもお出来にならない。主に向いて、認めたくないならそのように、ありのままの気持ちを、状態を、祈ろう。その時、次の展開へと導かれる。

 

 

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係