「ダビデは、『アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している』という知らせを受けたが、そのとき、ダビデは言った。『主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』」Ⅱサムエル15:31

アヒトフェルは、ダビデが最も信頼していた議官の一人だった。「私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに」と。

 

反対者が敵対してくるのは、まだ対処できるが、同志であり親友が裏切り、敵対して来るのは、この上無い痛み、つらさだ。しかしダビデは、目の前に起きる様々な事が、バテシバと姦淫しウリヤを殺害した罪の刈り取りである事がわかっていた。ダビデは真正面から受け止め、刈り取って行った。

 

親友の裏切りである、この事も「アヒトフェルの助言を愚かなものにして下さい」と主に委ね、主に信頼し、祈った。自分で対処せずに、祈りに持って行った。そして息子アブシャロムが謀反を起こし、ダビデに向かって戦いの準備を進めていると耳に入る。息子とは戦えない。ダビデは逃げる事を決意する。「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った」ダビデは泣いた。どれほどの苦しみ痛みだったろう。オリーブ山は主を礼拝する場所だった。主の御心と受け止めたダビデは、痛みの中で更に主に拠りすがり、主に近く歩む者とされた。

----------

何か事が起こる度にダビデは昔の罪を思い起こしただろう。そして罪を思い出す度に、その罪を赦してくださった主の恵みを思い、ますます主に近づいていけた。痛ましい姿にみえてもどこまでも主と共にいる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係