「サウルの家の一族のひとりが、そこから出て来た。その名はシムイといってゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た」Ⅱサムエル16:5

シムイが呪いの言葉を吐き、ダビデと家来たちに石を投げつけた。シムイは、ダビデがサウル家の血を流したと呪った。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者」と。主がサウルの血を報いたのだと。しかしダビデはサウル家の者の血は流してはいない。不当な非難で中傷だった。部下がシムイを殺そうとしたが、ダビデは止めた。

 

「ほうっておきなさい。彼に呪わせよ。主が彼に命じておられるのだから」とダビデはそこに主を認めた。サウル家の者は殺していないが、血の非難はウリヤ殺害の罪についての、主からのものと受けとめた。「私をそしる者が敵ではありません。 それなら私は忍べたでしょう」とシムイのそしりを意に介していない。

 

ダビデは自分で何とかしようとせず、自分に降りかかり、自分に起きるすべての事を、主の御手からのものと従順に受け入れ、主におゆだねした。そして一つ一つ刈り取って行った。ダビデの信仰だった。そして、「主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私に幸せをあわせを報いてくださるだろう」と。

 

私たちはどうしても目の前の状況に即、反応してしまい、状況を変えよう〃としてしまう、しかし状況でなく、主を見上げよう。悪意をも、良いことのための計らいとして下さるお方だ。主に間違いは無い。

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主が全てを知っていてくださるとの信仰に立てるのは幸いだ。人の言葉に心を騒がせられない。今日の呪いに代えて、主は幸せを報いてくださると希望を待ち望める。真の慰めだ。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係