「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5:17

肉とは、肉体でなく、神無しで生きる高ぶりであり、神に反抗し、真理を憎み、罪を求める性質だ。神に敵対して行く生活原理だ。肉は改良する事はできず、訓練も出来ない。訓練で良くなるものでなく、「肉」は捨て去るしかない。「肉によって生まれた者は肉です。霊によって生まれた者は霊です」。

 

一見、肉が訓練されて霊になるように思うが、そうではない。肉が霊になる事はない。肉は肉、霊は霊だ。新生した時に、新しい性質を受ける。神のご性質だ。しかし肉もまだあり、且つ新しい性質も宿すので、二つの性質が内にある。生まれつの肉のままに歩むと、そこに戦いはない。自分の好きなように歩むので、葛藤が生じない

 

だが御霊に従って歩もうとする時、肉との戦いが生じ、葛藤が起きる。肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう。この二つは対立し、自分のした事が出来ない。例えば、嫌いな相手がいると、肉はずっと嫌っていたいので、肉に歩むと葛藤はない。ところが御霊は愛するように導かれる。すると肉と、御霊の導きが対立してそこに激しい葛藤が起きて来る。

 

パウロも経験した。善をしたいと願うのに、したくない悪を行う。善をしたいのに、実行できない。本当にみじめな人間だと。そして苦しんだパウロは解決を見いだした。自分の力でなく御霊によって歩むことだと。「御霊によって歩め。そうすれば肉の欲望を満足させることはない」と。御霊の導きに従えるよう、祈ろう。

 

・・・・・・・・・

自分の力でやってみるが、必ず行き詰まる。行き詰まりが感謝だ。成長するためには、砕きを通される。砕かれる。そして真剣に主に助けを求める時に、必ず答えて下さる。「出来ません」と祈る時、御霊の力によって、出来るようにされ、御霊の助けを経験して行く。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係