「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」ヘブル12:15

信仰生活の中で、苦い心を抱くことを経験するだろうか。怒りや憤り、妬み、憎しみ、赦せない思い・・対人関係の中で、行き違いがあった時に、生まれて来る。御言葉は「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい」、「あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、 悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい」と言っている。

 

相手だけでなく、こちらにも非がある場合はわかるのだが、全くの理不尽で、不当な扱いを受けた時に、どうしても怒りが湧き、処罰感情が抑えられない。生まれつきの性質は、赦すどころか、何倍にもして報復したい。復讐したいのだ。しかしその場合も、苦しいのは自分だけだ。

 

嫌な思い、裁く思い、赦せない思いに、つらくてたまらないのは自分だ。一人相撲で自分の心がどんどん浸蝕され、むしばまれて行く。それは身体にもきて、体調まで崩したりする。主は「捨て去りなさい」と。それを主にゆだねるようにと。処罰感情に支配されると、捨てることが難しい。自我は握りしめて放さない。

 

自分にはそれは出来ないが、しかし祈ることができる。「捨てたくありません」とありのまま祈ることから始めよう。主との交わりの中で、御言葉を受け取り、捨てることが出来る。主との交わりの中でのみ可能だ。主が働き、みわざをして下さる。

 

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苦い根はそのままにしておくと、どんどんはびこってしまう。飲み尽くされてしまう。恨みや怒り、赦せない思いは、思えば思うほどますます赦せない。自分がつらいばかりだ。「握り締めて放せない」からありのまま祈ろう。主に助けを求めるなら、必ず応えて下さる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係