「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Ⅰヨハネ5:14

「求めよ、そうすれば与えられる」の通り、主は祈りを喜ばれ、求める事を喜ばれる。しかし「神のみこころにかなう願い」なら、答えられるとある。主はソロモンに「あなたに何を与えようか。願え」と言われた。その時、ソロモンは、ダビデに代わり、自分が王とされたが、自分は小さい子供ですと言った。

 

民は余りにも多くおびただしい数であり、そこで「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心を与えて下さい」と祈った。ソロモンは民をさばくための知恵を求めたのだ。主はこの願いを非常に喜ばれた。「この願い事は主の御心にかなった」。

 

主は、この事を求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、敵の命も求めず、正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、「あなたの言った通りにする」と。知恵の心と判断する心が与えられた。そしてそれに加えて、願わなかった富と誉れまで与えられた。生きている限り、ソロモンと並ぶ者は一人も無いであろうと。

 

主を第一にするなら、「それに加えて、これらものはすべて与えられます」。自分を第一にする時、神の国もこれらの必要な物もどちらも失ってしまう。ソロモンが、御心にかなう願いが出来たのは、主を礼拝していたからであった。私たちも、主と交わりを大切にして行く時、主との親しい交わりの中で、主の願いが自分の願いとされて行く。

 

------------自分の健康、家族の必要と祈りは尽きないが、自分の要求だけの祈りで終わるなら、祈りは主との豊かな交わりの時となるだろうか。御心を教えてくださいと祈りたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係