「『ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた』」マルコ10:47

エルサレムから25キロほどの所にエリコがある。主がエリコを出られると、盲人バルテマイが、道ばたにで物乞いをしていた。イエスだと聞くと大声で「私をあわれんでください」と叫び始めた。大勢でたしなめても、止むどころかますます「私をあわれんで下さい」と叫び立てた。

 

目は見えないが、この方の事を、人々が話すのを耳にしていたろう。この方なら目を開ける事ができると信じたからこそ、何があろうと、ひるまず諦めず叫び続けた。人目など気にならなかった。主へのその真剣な熱心な求めが、「あの人を呼んで来なさい」との主の言葉となった。彼は「上着を脱ぎ捨て」「すぐ」立ち上がって主のもとに来た。

 

上着はガウンみたいなもので、毛布や敷物にもなり、大切な生活必需品だった。施し物を受けるためにも必要で、上着を地面に広げ、大事な商売道具でもあった。その上着を「捨てた」という事は、絶対に癒やされるとの確信を持っていた。又、盲人であり、物乞いで生きる一生になる事への諦め、それはそれなりの安住があったろう。それをもかなぐり捨てた。

 

そして信仰をもって、主に拠りすがり、願い求めた。この方なら絶対に目を開けて下さると。その通りに目が開かれて、全く新しい人生の一歩を踏み出した。それは目が開いて万々歳で、自分の好きなように、思い通りの人生を歩み出すためでなく、主の行かれる所について行き、一生涯を主に献げ、主に従って行くための一歩だった。

----------

これを失ったら大変だというものが、主との歩みの邪魔になっていると気づいたら、何度でも捨てて主にすがりつこう。新しく目が開かれ、恵みの賜物がよく見えるようになりたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係