「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった」ヨハネ21:4

主の復活を信じていなかった弟子たちが、主からガリラヤに行くように言われ、故郷に戻って来た。主を裏切った心は重く、なすすべなく、そこで一度捨てた網を取り漁をするが、一匹も魚がとれなかった。心に痛手を負ったペテロは、これならと自負のある漁をするが、なおも挫折感、屈辱感、空虚感にさいなまれただろう。

 

その時、岸辺で誰だかわからないが、「子どもたちよ。食べる物がありませんね」と言ったので「はい、ありません」と答えた。何も無い、ありのままの状態を認めた。すると「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」との声が聞こえた。

 

何だかよくわからないが、その声に従って、網をおろした。その時、何と驚くべき大漁だった。網を引き上げられないほどの、おびただしい魚だった。ヨハネが以前の光景と全く同じである事に気づき、ペテロに言った、「主です」。それを聞き、ペテロは湖に飛び込み、主のもとへ行った。一刻も早く大好きな主のもとへ、行きたかった。

 

陸地に上がった時、炭火があり、魚とパンがあった。それを見たペテロは、主を裏切った時の、あの炭火が脳裏に浮かんだだろうか。主は、ペテロに、三度「わたしを愛しますか」と問われた。合わせる顔がないと思っていたペテロは「私の心を見て下さい、主はすべてご存じです」というふうに答えた。

 

以前と全く違う、砕かれたペテロがそこにいた。主の愛はペテロを見事に回復させた。私たちにもこの主の愛が注がれている。

 

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ペテロは、主を呪いをかけて誓ってまで否んだ。裏切りという大失敗をしてしまった。ユダも後悔したが祭司長のもとへ行き、しかしペテロは主に向き、主のもとへ行った。失敗した時こそ、主のもとへ行こう。豊かな赦しと変わらないご愛に触れる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係