「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」箴言29:25

心がつらくなる時、重苦しくなる時があるだろうか。その時、心を探ってみると、人から言われた言葉に傷ついていたりするだろうか。人の態度や言葉で、恐れや動揺が来て、思い煩いや不安にさいなまれてしまう。人の言葉に左右され、振り回されていないだろうか。

 

あの言葉、このひと言。それでプライドが傷ついたり、不安になり落ち込んだり・・。人の言葉が、心の中で重きを占めてしまっている状態だ。主と御言葉が飛んで、人の言葉に支配されてしまっている。無意識にも心の奥に、人にどう思われるか、人の評価、人の称賛を求めていたりする。

 

人に受け入れられたいし、人に良く思われたい。それで人の目が気になって仕方がない。そんな時は、人の言葉でなく、主の言葉に耳を傾け、御言葉で心を満たして頂こう。ペテロも隣のヨハネが気になって仕方が無かったが、「それがあなたに何の関わりがありますか。あなたはわたしに従いなさい」と。「わたしに従え」と、横でなく上を仰ぐようにと。

 

又、理不尽な言葉に対しては「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ」「しかし私には聞こえません。私は耳しいのよう」。耳しいになる必要がある。人を恐れる心の奧に「わたしは人からの栄誉は受けません」と主が言われたが、人からの栄誉を求める心があるためかも知れない。心の内を照らし出される時、主を信頼する新しい歩みへと導かれる。

 

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人を恐れると罠にかかるとあり、サタンにやられてしまう。人に振り回されてしまい、確信も平安も失せて、恐れや不安、思い煩いに飲み込まれてしまう。どの言葉に聞いているだろう。人の言葉か、サタンの言葉か。御言葉に向き、そこに立つ時に平安が戻り、安堵する。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係