「彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました」詩篇109:5

ここでダビデは、邪悪な口、欺きの口を向けられ、理由もなく攻撃され、憎まれ、なじられ・・と言っている。自らの愛情と真実な心を向けた相手に、立ち向かわれ、憎まれ攻撃されるというつらい経験をした。サウル王やアブシャロムによる迫害かと言われている。どんなに苦しみであったろう。愛や真心は必ず通じると思いたいが、そうでない現実もあるようだ。

 

そんな時はどうすれば良いのかを、ダビデを通して学ぶ事ができる。愛し、誠実に接した相手が、敵対し、歯向かって来る。邪悪な、偽りの、憎しみの言葉で取り囲み、罵り、なじって来る。非常につらい状況だ。しかしそれはまさに、神に対する人間の態度そのものだ。だが、神は、敵対する者を更に追いかけ、愛し続け、たった一人の御子まで命を捨てさせて下さった。

 

その御子を私たちはどう扱ったか。神の愛すら通じないのであれば、罪人である人間同士の愛が通じなくとも不思議はない。主は十字架上で、人々の罵りに対してどうされたか。御父に執り成し、その人々の赦しを祈られた。ダビデも同じだ。キーワードが、「私は祈るばかりです」だ。相手を攻撃し、復讐するのでなく、主に、何もかもを赤裸々に打ち明け、知って頂ける。

 

主に心の内を吐き出し、叫んだダビデは、この後、「大いに主に感謝します。賛美します」と変えられている。今、もし苦しみの中なら、「私は祈るばかりです」。主に何もかもを吐き出し、聞いて頂こう。感謝へと変えられて行く。

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全てを主の前に持っていき、主との交わりの中に逃げ込もう。つらい、悔しいと爆発しそうな感情は、くり返し沸き起こり気づけばサタンと会話してしまう。主の愛を覚えこの試練に勝利しよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係