「『ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません』するとイエスは言われた『それを、ここに持って来なさい』」マタイ14:17

ケリテ川においては、主は烏を用いられた。当時、烏は忌み嫌われていた。しかし主はその烏を用いて、エリヤを養われた。そしてツァレファテの貧しいやもめを用い、その一握りの粉と僅かな油を用いられた。エリヤが「まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに」と言ったが、彼女は主の言葉を信じて、まず自分たちでなく、まずエリヤに持って行った。すると粉と油は尽きる事なく、饑饉の間中満たされた。

 

五千人の給食で、少年は五つのパンと二匹の魚を、主のもとに持って来た。小さな子供用の弁当だった。しかし主は少年の献げ物を用いられ、男だけで五千人、女子供で一万人以上の人々を満腹させられた。少年が自分で所持していれば、パン五つと魚二匹を自分が食して、それで終わった。しかし主に献げた時に、大勢の人々の祝福のために用いられた。そして主の栄光が現された。

 

八十歳の老齢になったモーセも、主がお入り用なのですと召し出された。「あなたの手にあるそれは何か」と問われ「杖です」と答えた。主はモーセの羊飼いの杖を、神の杖として、民の出エジプトのために用いられた。

 

どうだろう。有能で力があるから主の役に立ち、用いられると思いがちだが、そうではなく、貧しく、小さく、弱く、無力な者を用いられる。力は自分からでなく、主から来る。あなたも、主にお献げするなら、豊かに用いて下さる。主に自分自身をお献げしよう。

 

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弱さの中に、主の力が完全に現れる。強さの中にではない。主は取るに足りない者、無に等しい者を選ばれる。自分は足らない者であるが、「ここに持って来なさい」主のもとへ自分自身を持って行く時に、主の御手の中に置かれて、主の栄光のために用いて下さる。

 

   発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係