「・・心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21

どうだろう。日常生活で、思い通りにならない事が多々あるだろうか。人生は決して、自分の思い通りではない。又、試練は必ずやって来る。クリスチャン人生で試練が無ければ、私生児だと言っている。自分の子供だからこそ、しつけて訓練すると。試練は好きではないが、試練こそが大きく成長させて行ってくれる。

 

しかし、突如の試練が起きると、必ず「何で? どうして?」となってしまう。「主を信じているのに、何でこんな事が?」「何で、自分に?」「何で、今?」「自分は祝福されていないのか?」「神は愛だと言うが、愛されていないのか?」大きく動揺してしまう。目に見える所に飲み込まれてしまうと、どんどん落ち込んで行くばかりだ。何が、どうなっているのかわからない。

 

思い煩いに襲われ、不安に飲み込まれて行く。こういう時は、目の前の状況、見える所、自分の思い、自分の感情から目を離して、御言葉に向くことだ。御言葉に方向転換をする。御言葉はどう言ってるのか。「何も思い煩うな」「明日のための心配無用」「主はしようとしている事を知っておられる」「あなたのために立てている計画」「「災いではなく平安を与える計画、将来と希望のため」

 

「患艱が忍耐生み出し、品性を生み」「耐えられない試練はなく、脱出の道がある」・・祈り、御声を聞き、御言葉に立って行く時、いが変えられる。信仰が与えられ、希望が見えて来る。今、目と心を、見えるところでなく、御言葉に向ける時だろうか。

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心配事でふさがれてしまうと何も見えなくなってしまう。今までに植えつけられた多くの御言葉が、困難の中で支えてくれる。御言葉をくり返し思っていよう。御言葉はたましいを救ってくれる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係