「激しい大風が山々を裂き・・しかし風の中に主はおられなかった。・・地震の中にも・・火の中にも、主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった」Ⅰ列王19:11

エリヤと言えば、スーパーマンのような、豪快な信仰の偉人と思いがちだ。カルメル山で、一人でバアルの預言者450人と戦って大勝利をした勇者だからだ。だがその後イゼベルの殺害命令を知るや、怯えて恐れて逃げ出した。「自分の命を救うために」と。

 

主にお委ねし、主に拠り頼むのではなく、自分で自分を救おうとする時に、何もかもがずっしりと自分の肩にかかる。そのため不安と恐れの重圧で、身動きがとれなくなり、絶望的に思えてしまう。あのエリヤが何と死を願う。燃え尽き症候群のごとくに。

 

しかし主の手厚いフォローにより、十分な休息を与えられ、心身回復して行く。そして主に示されホレブの山へ向かう。ほら穴にいた時に、「ここで何をしているのか」と主の御声が。「主に熱心に仕えたが、彼らに命を狙われている」と答える。するとほら穴から出て、山の上で主の前に立てと。

 

その時に岩を砕く激しい大風、地震、火と、劇的な事が次々と起きるが、そこに主はおられず、その後にかすかな細い声があった。私たちも、主のわざは、大々的で劇的な事と想定しがちだ。だがそうでなく、主はよく耳をそば立てなければ、聞こえない「かすかな細い声」で語られる。

 

自分の思いが強いと聞こえない。周囲の喧噪に、雑音に気を取られていると聞き逃してしまう。主に心と思いを向けて、集中して、このかすかな細い御声に耳を傾けよう。慰め励ましを下さり、御心を示し、新しい力を与えて下さる。

 

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主のみ声は、かすかな細い声とある。日々、喧噪の中に生きている。

街に様々な音は溢れ返り、人の声もあり、頭の中も絶えず雑念で溢れ返っている。雑念は更なる雑念を生んで行く。かすかな細い御声を聞けるように、助けを求めて祈ろう。祈りに答えて下さる。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係