「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」ヨハネ1:4

この世で凶悪事件が起きると、しばしば犯人の「心の闇」とニュースで報道されている。しかよくよく自分の心も探ってみると、気づかないままに闇があることを知る。決して認めたくない、認めようしない、見ようともしない自分の罪はどうだろう。絶対に認めない、近しい人への妬み、傷つけられた相手への憎しみ、赦せない思い、心の引き出しに押し込めたままだろうか。

 

しかしうすうすは気づいている。ある人が、親しい友人がほめられと、何か心がざわつき、平常心でおれなかった。しかし仲は良

し親友だと思っていた。ところが段々と自分でも、心が乱れ、きしむ事をはっきりと意識し、主の御前に静まり、心の状態を打ち開け祈った。

 

じっと御前にいると、御霊により、実は最初から妬みが心の奥にあった事を示された。妬んでいたが、絶対に認めず、その事に向き合わずに避けて、自分で自分をごまかしていた。主の御前に心から悔い改め、平安にされた。又、誰にも言えない心の傷みがあるかも知れない。どうすればよいのか。

 

闇は、何をもってしても無くす事ができない。ただ一つだけ、闇を消す事ができるものがある。それは光だ。一筋でも光があるなら闇は消える。すでに闇で無くなる。主は十字架の死と復活により、罪と死の闇に打ち勝たれた。罪の赦しがなされた。どんな心の闇であっても、光に照らされると、光となる。闇は決して打ち勝てず、そこに主の救いがある。

 

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「人々は光よりもやみを愛した」と言っている。肉は、暗闇を愛し、闇が心地良い。しかしすべての人を照らすまことの光が世に来て下さった。この光に照らされる時に、闇の中では見えなかった、罪が見える。悔い改めが与えられ、変えられて行く。光の中を歩んで行ける。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係