「高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」ローマ8:39

私たちが試練に会う時、どうしてもすぐに目の前の問題を何とかしたい、苦しみが無くなって欲しい一心となる。これをこうして、あれをああしてと、自分の様々な思いがあり、そのように祈る。願いを主に持って行くのは良いが、しかし目の前に来る問題は、主の目的と意図がある。「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ」とある。

 

そのためこの問題を通して、主ご自身を知れるよう、教えようとされている事を悟れるように祈ろう。実際、主の愛を知る時に、どんなに苦しい中でも乗り越えて行ける。ある人は、対人関係の悩みの時に、深く取り扱われたと証しした。

 

この問題は主から来ていて、自分のための取り扱いだと、うわべでは模範的クリスチャンのように言いながらも、心では、怒りがおさまらず、受け入れられずに反抗している自分。自分には間違いが無い、自分は正しいと思っている。そのため心では相手を責めて、裁いている。自分を正当化し、相手のせいにしている自分。

 

しかしその事に全く気づかなかった。だが祈り続ける中で、主は自らの本当の姿を見せられた。何と罪深い自分。その時、彼らは何をしているのかわからないのですからとの言葉が、実感を持って迫り、主の赦しの愛に触れた。主の十字架がまさに自分のためである事が、新たに迫り来た。

 

一つ一つの目の前の悩み、問題、苦しみは、主の愛を新たに知れる機会だ。今、目の前に悩みがあるなら、その事を通して、主の愛を新たに知れるよう祈ろう。

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病気が癒えます様にと、癒えるまで癒やししか祈らない自分に気づく。主のご意思はそこではないと、どんな中でも主に頼る平安を学ばされた。どんな問題も主の愛から引き離すことできない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係