「遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか」ルカ15:30

ある女性の証しだ。小さい時から頑張って勉強し、親に言われるままに塾にも通い、習い事もし、親の言う通りに従い、優等生で過ごして来た。周囲からもほめられ、自分でも、勤勉で真面目な良い子だと思っていた。ある時、友人に誘われ教会に行った。聖書から「罪」という事を教えられるのだが、罪が一向にわからなかった。

 

自分は周囲の皆から、良い子だと言われ続けて来て、自分でもそう思っている。真面目に生活し、犯罪を犯した事はないし、非行に走った事もない。しかし教会の人々は優しく親切で、教会へ行くのは嫌でなく、続けて通っていた。ある時、放蕩息子の兄についての学びだった。その時に、兄息子が、自分の事を言われているようで、そのまま自分に重なることに愕然とした。

 

行方不明の弟を心配するどころか、軽蔑し見下し、帰宅した弟を喜ぶのでなく、受け入れる父親に怒りを爆発させる。誰にも見せない自分の姿だった。顔では微笑みつつ、実は出来ない子を見下し、軽蔑していた。自分は正しく立派であり、心の中では不良たちを冷やかに裁いていた。実は心の中は、常に満たされておらず、怒りや裁きや不平不満で一杯だった。

 

突然、御霊の光によって自分の姿があらわにされた。初めて罪がわかった瞬間だった。心底自分は罪人であり、今まで聞いていた主の十字架が、まさに自分のためであると迫って来て、心からの悔い改めが与えられた。御霊の働きだった。御霊が、罪について、義について、そして十字架の意味について、わかるように教えて下さる。

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自分もまた御父の恵みによらなければ救われない罪人だと認めていたい。本当の自分の姿を見せられることは痛いが感謝だ。素直に御父に手を伸ばせる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係