「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」マタイ6:12

人を赦す事は、非常に難しい。ある人が善意で、自分なりに犠牲を払ってした事を、別の人から批判されたと知った。それが、普段よく話す人で、面と向かっている時には、良いように話すのに、陰で批判され悪口を言われた事に、ひどく腹が立った。もう怒り心頭に発して、殴りかかりたいほどだった。正直、ぼこぼこにしたかった。

 

しかしその相手は、丁度、部署替えになり、会う事は全く無くなった。だがそれから、平安をもって祈れなくなってしまったのだ。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちの負いめのある人たちを赦しました」との御言葉を前に、先に進めない。相手を憎み、怒り、赦せない思いがある事を示され、胸が苦しくなった。

 

しかし赦せない。だがそれなら、自分の負いめも赦されない事になってしまう。悶々状態となり、しかし、怒りと赦せない思いが、どうにもならない。胸がつらくてたまらない中、主に、あるがままの心を打ち明けた。怒り、憎しみ、赦せない思い、何もかもを吐き出した。「赦せません。でも助けて下さい」、御前に祈り続けていた。

 

すると目の前に主の十字架が大きく迫って来て、離れない。圧倒的な主の十字架を前に、何も言えなくなり、不思議に「赦そう」と思えた。意志を向けて「赦します」と祈った時に、心のつかえが取れて、平安にされた。自分の力では、人を赦すことはできない。不可能だ。しかし、主に助けを求めるなら、御霊の力によって、赦す事ができるようにされる。

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主に赦されているのに、自分は赦せない者であると思わされる。貸したものは返して欲しい。主の十字架の苦しみを思い、赦せるように祈り続けよう。赦された恵みに生きていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係