「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた」ヨハネ6:11

人は、自然にしていると、どうしても悲観的な見方に傾くと言われている。私たちも主から目が離れると、有るものではなく、無いものばかりに目が向いてしまう。不足分を数える。あれも、これも無い。能力が不足、時間が無い、財力も無いと、心沈み、落ち込んでしまう。

 

アンデレは、パンと五つと小さい魚を二匹持っている少年を、主のもとへ連れて来た。しかし、こんなに大勢に、この僅かなものが何になろうと。だめだろうなと。だが、主のもとへ差し出した。主は手にあるものを用いられる。それがどんなに僅かでも問題無い。

 

自殺未遂となった田原米子さんは、片腕と両足を失い、3本の指だけが残った。絶望し、次は確実に死ぬ事だけを考え、睡眠薬をためんだ。そんな中、宣教師の導きで、主を信じた時に、突然「指が3本ある!」との思考になった。「無い」から「有る」へ180度発想転換が起きた。そして生涯を主に献げて行かれた。

 

星野富弘さんも、首から下が動かない身体になった時に、絶望した。真っ暗闇で、苦しみ、煩悶を母親にぶつけていたと。そして主に出会った時に「首から下が動かない」から「首から上が動く」に変わった。主にお献げして行った時に、世界中の人々の慰めと励まし、心の癒やしのために、素晴らしく用いられて行った。

 

私たちはどうだろう。無いもの、不足分ばかりに、目が行ってないだろうか。そうでなく、与えられているものに目を向けよう。それを主にお献げする時に、主は聖めて、主の栄光のために用いて下さる。手の中にあるものを、まず主のもとへ持って行こう。主は受け取って下さり、祝福し、周囲のために豊かに用いて下さる。

 

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手の中にあるどんな僅かなものでも、主のもとへ持って行こう。持って行くことが大切だ。自分の手にあるか、主の御手にあるかで、天と地ほどに違って来てしまう。こんな僅かなものと思ってしまうが、主のもとへ携えよう。主は素晴らしく祝福して下さる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係