「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」Ⅰペテロ5:8

悪魔は策略を練り、巧妙に半分の真理に半分の嘘を混ぜて来る。全部嘘ならまだわかりやすいが、半分は合っているだけに見分けずらい。エバに来た誘惑も。はなから無神論者で神否定なら予防線を張り、警戒するが、「神」が出て来るし「言われた・・」御言葉もどきが出て来ると、安心し気を許してしまう。

 

又、悪魔の誘惑は、自分の欲望にピタリと合致して来る。自分の思いと一致しているので、気づかない。例えば、相手の辛辣な言葉や悪い態度で、傷つけられる。心はつらく苦しい。相手に非があるので、自分は被害者で、傷つけられたために苦しいとしか見えない。自分がこんなに苦しいのは相手のせいと、更に相手を憎む。

 

しかし実際は、自分が相手を裁き、憎んでいるので心がつらい。そこが悪魔におおわれ隠される。「人から出るもの、これがが人を汚す」、何があろうと、主と自分の間が正しければ、外的状況は関係無く平安なはずだ。何ものも主の下さる平安は奪えない。又、泥酔や賭け事、妬み憎しみ等ストレートな罪はわかりやすいが、良い事で誘惑して来る。

 

仕事や趣味は良いものだ。趣味は良い気分転換になる。しかし罪ではないが、知らず知らず、のめり込むと、時間と労力が奪われ秩序が狂って来る。「すべての事はしてもよい。しかしすべての事が有益とは限らない」罪でないが、有益でもない事で、ダラダラと時間を使い、主との交わりの時間が大幅に圧迫されてしまう。もしその事で、霊的食欲が減退して行くようなら、巧みな悪魔の誘惑が来ていて、要注意だ。主に助けを求めて祈ろう。

 

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サタンは手段はどうであれ、とにかく神から私たちを離したい。それが成功するなら、手段は何でもよい。罪でないが、有益でもない事に大幅に時間が取られるのは要注意だ。流されてしまう。その事で霊的食欲が増すか、それとも減退して行くかで、見定められる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係