「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい」ヤコブ1:20 

人の怒りは、神の義を実現しないと言っている。人の怒りとは、義のための怒りではなく、自我からの怒りだ。自分の思いが通らない、自分が評価されない、認められない事による怒り、自己中心の腹立ちだ。だいたいは正義の怒りでなく、自分の思い通りにならない事による腹立ちと言われている。

 

それらは主の栄光の現れを妨げてしまうので、捨てるようにと。まず自らの怒りが、自我からの、自己中心の怒りなら、主に渡せるよう祈ろう。ある人は、我慢ならない相手に、反撃しようとした時に、御霊に止められた。それは肉の怒りで、神の義を実現するものではないと。怒りはサタンの足場となり、サタンは乗じて来る。

 

どんどん思いの火矢で、焚きつけて来る。ますます激しく怒る事になる。サタンにあおられている事に気づこう。怒りは捨てなければとわかるのだが、握りしめて捨てる事が出来ない。誰しも経験する。自分でしようとしても、どうにもならないので、そのまま、あるがまま主のもとに持って行こう。主が取り扱い、助け、捨てさせて下さる。

 

そして「聞くには早く、語るには遅くせよ」とあり、まず御言葉を聞くことが大切だ。御言葉により、感情に走る事を止められ、又、復讐心、処罰感情から守られる。主が、心に御言葉を植えつけて下さる。その御言葉を拒否せず、なおざりにせず、素直に受け入れよう。その時、御言葉がどんなに力があり、救いであるかを知る。

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肉はいつまでも憎んでいたいが、その怒り、憎しみは何処から来るのだろう。外から来るのだろうか。祈りつつ御言葉を読もう。御言葉が必要だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係