「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」詩篇32:1

ダビデは、バテシバと姦淫し、その夫ウリヤを殺害した。二重に犯した罪を隠ぺいしていたところ、主は、預言者ナタンを送られた。ウリヤは現に殺されている。ナタンも、即、殺害されても不思議ではない。しかしナタンは主に従い、ダビデのもとへ行き、言った。

 

「二人の人がいて、一人は富み、一人は貧しかった。富んでいる人は多くの羊や牛を持っていたが、貧しい人は一頭の小さい雌の子羊だけだった。彼は大切に育て、自分の娘のようだった。旅人が裕福な人の所に来たが、自分のものを惜しみ、貧しい人の子羊を取って調理した」。するとダビデ王は激怒し「そんな男は死刑だ」と叫んだ。

 

ダビデの隠れた罪が反応した。すかさずナタンは「あなたがその男だ」と指さした。ダビデは「わたしは主に対して罪を犯した」と罪を認め、告白した。ナタンは、まずダビデの罪の指摘でなく、他の人の罪の話をした。他人の罪には非常に敏感だ。ダビデも自分の犯した罪はわかっていたろう。しかし自分は王でありトップだ。すべては自分の思うがままであり、隠しおおせると思っただろう。

 

他人の罪としてナタンから語られた時に、その罪がはっきりと目の前に示され、気づかされた。即、悔い改め、蒔いたものの刈り取りに苦しみつつも、練られ、聖められ、信仰の人ダビデが造り上げられて行った。悔い改める時、罪が赦される。ダビデの大罪が赦された。そしてなおも建て直され、建て上げられて行く。何という恵みだろう。

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罪を悔いることができ、赦しを受けることができる。神を知って生きるとは何と幸いな人生だろう。失敗の苦い思いの中で、御前に罪を認めていこう。そして新しく一歩踏み出そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係