「しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた」詩篇66:19

ある人が、非常に世話好きな隣人に戸惑っていた。親切は有り難いのだが、頼みもしないのにどんどん世話を焼かれる。気持ちがしんどくなって行くところに、更にプライベイトな事にまで踏み込んで来られ、苦痛でたまらなかった。だが、そう思う自分も、寛容でなく、心が狭いのではと、何だかとがめてしまう。

 

かなりのストレスとなり、とにかくその事を祈りに持って行き、そしてずっと祈り続けていた。ある時、余りにも行き過ぎた行為に、とうとう我慢の限界となり、切れて爆発する瞬間、「神様!」と叫んだ。どうにもならない瀬戸際で、助けを求めた。その時、口からひとりでに言葉が出た。

 

「すみません。いつもよくして頂いて」。自分で自分に驚いた。取り返しのつかない決定的な言葉を発してしまうところ、主の介入で助けられた。言葉は、後戻りが出来ない。御霊の助けであり、守られた事に安堵した。すると相手は心和んだようで、良い関係にされ、和気あいあいとなった。自分自身も心が変わり、平安に対応でき、素直に教えて欲しい事も聞けた。

 

すると相手からの相談を受け、主のみわざに驚いた。祈りの力を教えられ、見せられた。ただただつらくて、祈り続けていた祈りの答えだった。どんな状況の中でも、祈りに持って行けばよい事を教えられた。

 

「わたしを呼べ」と言われる主のもとへ行き、主に祈ろう。「そうすれば、わたしは、あなたに答え」、今、目の前の事態に主を呼び、主に告げよう。主は答えて下さる。

 

・・・・・・・・・・

いつも「わたしを呼べ」と言って下さっている。何と感謝な事だろう。いかなる時も、自分で何とかしようとせずに、まず主を呼ぼう。その時に、主が共におられること、愛されていることを実感して行く。小さな事にも、祈りの答えを見て行き、喜びが溢れる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係