「しかし、彼が出かけると、主の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちふさがった」民数記22:22

バラムは、モアブ王バラクにイスラエルを呪うよう頼まれた。しかしバラムは主から、イスラエルを呪うなとの命令を受けていた。「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。民を呪ってもいけない」と。その民は祝福されているからだと。しかし王は更に大勢の位の高い者を送り、手厚くもてなし、何でもするからと頼んだ。

 

すると、バラムは、主が他の事を告げるか確かめると。だが、主からすでに明確な命令が出ているのに、何を他に聞く必要があろう。金銭に目がくらみ、バラクのもとへ行く。その時に主は、「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らとともに行け」と言われた。

 

ところが翌日、バラムがろばに乗り、モアブへ向かうと、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちふさがった。バラムがどうしても行くというので、主はそのままにされただけで、決して主がそれを是認されたわけではない。むしろろ怒っておられた。

 

主は私たちに自由意志を与えられた。私たちの首に縄をつけて、無理強いされないし、私たちがどうあっても行く、というのなら主は、行くに任せられる。しかし主がそれを願っておられるのではない。

 

肉の思いを通して行く事は要警戒だ。それが私たちの最善の道では、決してないからだ。時々、主の最善が自分の思いと異なる事がある。そのため自分の願いが、叶わない方が良い時もあると心得よう。

 

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人間には、物事が近視眼的にしか見えないので、何が最善かは、主が一番ご存じだ。自分はこれが良いと思うが、自分の思いが強くて、反対向いているかも知れない。主にゆだねる事が最善だ。主に自分自身を明け渡す時、主の御心へと導いて下さる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係