「ダビデはしきりに望んで言った。「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」Ⅰ歴代11:17

ダビデがアドラムの洞穴にいた時だった。喉が渇き、しきりに故郷ベツレヘムの井戸水が飲みたくなった。それで、故郷の水が飲みたいなあと、思わず口にしてしまった。しかしそこは、敵であるペリシテの陣地になっていた。そしてアドラムとベツレヘムは、かなりの距離がある。

 

にもかかわらず、三人の勇士が命がけで、敵の陣営を突破し、何とベツレヘムの井戸から水を汲み、ダビデに持ち帰ったのだった。ダビデに命令されたわけではない。ただダビデの願いを叶えたい一心だった。それが喜びであったからだ。ダビデを愛するゆえであり、忠実な部下たちであった。ダビデはどんなに嬉しく、感動した事であろう。それを決して飲まず、主に注ぎ献げ、地に流した。

 

これは命をかけた人たちの血だから、こんなに犠牲が払われたものを飲めないと。ダビデの礼拝行為だった。しかしせっかくの水を何と勿体ないと思うだろうか。マリヤが主の葬りのために、300デナリの高価なナルドの香油を惜しげもなく、すべて主に注ぎきった時のようだ。弟子たちは香油を何て無駄にするのかと、憤慨して彼女を厳しく責めた。貧しい人たちに施せるのにと。

 

しかし主はマリヤの献げものを受け入れ、非常に喜ばれた。立派なことをしてくれたと。福音が語られる限り、彼女のした事も語り告げられると。私たちの行為、献げものは、主に献げられているものである事を、今一度覚えよう。主はその献げものを喜んで受け取って下さる。

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高価な香油ではなくても、主のために主を愛するゆえに小さな行為も献げていこう。その動機を主が喜んでくださり、何より自分の心も喜びにあふれる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係