「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」詩篇73:28

主を信じる以前、私たちは心に虚しさを覚えた。目の前のハッピーな事、快楽がある時には忘れているが、心が他の事に奪われているだけで、底にある虚しさは無くならなかった。生きる意味も目的もわからなかった。虚しさをごまかして、だましだまし、向き合う事を避けて、生きて来たのかも知れない。主を信じ受け入れた後はどうだろう。

 

ソロモンは、栄華を極め、富、名誉、地位、権力、そして知恵と、何もかも持っていた。そしてありとあらゆる快楽を味わっていた。贅沢三昧、700人の王妃と300人のそばめがいた。その妻たちが、ソロモンの心を他の神々に転じさせたとあるが。領土の拡大、銅、建築、土木を発展させ、壮大な神殿建設、事業、様々な分野で活躍し、あらゆる楽しみという楽しみを味わい尽くした。

 

しかし、晩年の彼の言葉は「空の空。すべては空」だった。何もかもが虚しいと。原因は、晩年は神から離れてしまっていたからだった。得られる限りの何もかもを手に入れたソロモンの言葉だ。私たちはしばしば勘違いする。不足、虚しさを覚えるのは、仕事に恵まれないから、経済的に貧しいから、伴侶がいないから、家族に、友人に恵まれないからと思ってしまう。

 

しかしそうではないと。外側の問題ではない。「結局のところ・・神を恐れよ。神の命令を守れ。それが人間にとってすべてである」。神と自分の関係が問題だ。神との生き生きとした交わりに生きる時に、初めて平安と喜びと幸せの中に歩める。

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御霊を通して主の励ましを受け取ると、小さな祈りにも聞いていてくださる主を感じる。どんな中にあってもこの世で主に助けを求めながら歩めるとは、何と平安で豊かな日々だろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係