「すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて打ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った」Ⅰサムエル20:33

サウル王は、最初ダビデが大変気に入り、召しかかえた。ダビデは大変忠実にサウルに仕え、勝利を重ねて行った。そんな時、女たちの「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」との言葉で、サウルは妬みにとりつかれ、ダビデを疑心暗鬼で見るようになった。ダビデへの嫉妬は憎しみとなり、それは殺意にまでなって行った。罪は罪を増幅させて行く。

 

ダビデを狙って、槍を投げつけたが、壁に突き刺さり、主がダビデを守られた。ダビデはますます大勝利を収め、サウルは更に恐れた。ダビデはずっとサウルにつけ狙われたが、決して報復しなかった。それはサウルが油注がれた王であり、ダビデが主を畏れていたためだった。何があっても、主が必ず自分を守って下さると堅く信じていたので、自分で自分を守る事をしなかった。

 

しかしサウルは、ダビデに地位を奪われるのではと、非常に恐れて怯えた。そして息子ヨナタンがダビデをかばうと、何と息子までも槍で殺そうとする。どうしてもダビデを殺害したかったようだ。ヨナタンは父親の固い意志を知り、ダビデの命を助けるように行動した。ヨナタンを用いて、ダビデの命を守られたのは、主だ。

 

人の生き死に、地位、境遇は「高く上げることは、東からでも、西からでもなく、神が」の通り、すべてが主の絶対的な主権と、御心の中にある。その主を認め、主に自分自身を委ねて歩む時に、真の安らぎと満足に生きる事ができる。

------------

ダビデは逃げてはいても、いつも神から糧を与えられた。私たちも、いつでも神に逃げていける。神の主権を認めて生きよう。様々な心配事に追いかけられても、その先に神を見る事ができる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係