「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください・・私をとこしえの道に導いてください」詩編139:23

ある人が伝道者になるように導かれていると感じていた。だが、心に何かとどめるものも感じる。何か心にすっきりしないものがあり、中途半端な状態がずっと続いていた。しかしきちんと祈ろうと決心して、主の前に祈りに持って行った。あるがままの心を祈ろうとした時に、はっきりさせたくない気持ちがある事に気づかされた。

 

あいまいにしておきたい。伝道者になると考える時に、大きな不安と恐れに襲われる。そんな事が自分に出来るのだろうか。将来は? 経済的な事はどうなるのか? 不安しか無い。だが、「私を強くして下さる方によってどんなことでもできる」のではないか。「主は栄光の富をもって、必要をすべて満たして下さる」のではないか。

 

祈りながら心の底を探る時、主を信じているつもりながら、信じきれない自分を見せられた。信じきれないから、不安でたまらないのだと。又、その事実も認めたくないので、あいまいにしておきたいのだと。御霊に示され、心から悔い改めて、祈った。自分の力でやろうとしていたから、不安に襲われていた事も教えられた。

 

委ねた時に、公の決心に導かれた。私たちもどうだろう。何か心がもやもやする時、平安が無い時、まず祈りに持って行こう。心を打ち明ける中で、影を落としている部分を御霊は指し示して、御心へと導かれる。

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心の内の明るみに出したくないもの、ぼんやりさせておきたい事を示され、自分の今の姿を見せられるのは主のご愛だ。足りないものばかりでも、無い事がわかるから主に求めて、頼って歩める。