「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」エレミヤ31:3

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とあるように、私たちは誰しも皆、人の愛を求めている。人に愛されたい。しかし人の愛には限りがあり、見返りを求めてしまう。親切な行いをすれば感謝が欲しい。全く感謝が無いのに、善行を続ける事は難しい。私たちはどうしても報いが欲しい。報いが無いなら疲れてしまい、続ける事が難しい。

 

しかし神の愛は無条件だ。与える愛であり、犠牲愛だ。神を基盤にし、その神を間に置き、人と交わる事が秘訣だ。まず「初めに神」で、神との交わりにより、自分自身が喜びと平安に満たされて、人に関わって行く。すると神の愛で、心が満たされているので、人からの見返りを求める必要が無くなる。真に与える者とされる。

 

人の愛を求めて、人に依存し、執着する事から守られる。人からどうこう言われる事が気にならない。神を通して、人と関わることが大切だ。「初めに人」となり、まず神でなく、人の愛を求めると、心満たされる事がなく、逆に、妬みやそねみ、欲求不満と様々な悩み問題を起こして行く。

 

「初めに神」でなく「初めに人」になっていないだろうか。人に求めても、心の奥底は決して満たされることはない。神しか満たす事ができない。まずその求めを神に向けよう。神から真の喜びが来る。

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人に良くしたら、良く思われたい者だ。愛を示すにも条件つきだと思わされる。無条件で永遠の愛で神に愛されている事実に何と無関心でいるだろう。神の愛と与えられている恵みに感謝だ。